嘉祥菓子

2週に渡り、講師の金沢旅行、お楽しみ頂けましたでしょうか?

風薫る5月から梅雨の6月へ。
色取り取りの紫陽花が雨後特に鮮やかな色で嬉しそうにしていますね。

先日の金沢旅行では紫陽花の和菓子も作っていたのは記憶に新しいことと思います。
和菓子といえば、そう、今日6月16日は「和菓子の日」、丁度日曜日、お茶好きお菓子好きの友人たちと、この日だけ販売される”とらや”の「嘉祥菓子」を頂くお茶会を開きました。
美味しい和菓子の話にしばし、お付き合い頂ければ幸いです。

こんにちは、土曜日・フラワー/ホーム担当、食いしん坊の大場です。
和菓子の日
6月16日は「和菓子の日」ってご存知でしたか?
え、誰が決めたの?はい、全国和菓子協会が 1979年に決めました。というと、なーんだ、バレンタインデー同様お菓子屋さんの戦略?とお思いになるでしょうが、実は実は、平安の昔より6月16日は「嘉祥祝い」といって菓子を主役とした行事が宮中や幕府で行われていたんですよ。
ただ、起源については諸説ありで、宮中、幕府、庶民・・とそれぞれバラエティに富んでいたようです。
宮中
848年6月16日仁明天皇がご神託に基づいて16の数に因んだ菓子や餅などを神前に供え、厄病を除けて健康招福を祈誓し、「めでたい」という意味の「嘉祥」に元号を改元したという古例が由来と言われています。

「嘉祥の祝」に先立ち、家臣たちは天皇から下賜されて「嘉祥米」で菓子をあつらえ天皇に献上します。献上された菓子は天皇から家臣たちへ下賜され、その後、場を改めて宴を行ったといわれています。

この時、菓子をあつらえたのはもちろん菓子職人たち。あの最強の老舗中の老舗「とらや」さんもすでにあったとか・・・

また、この日、宮中の女性たちも着飾り、その美しい女官たちを見るのも殿方たちの楽しみのひとつだったとも言われています。
武士
室町時代には宮中では既に行事化されていたという「嘉祥祝」。
徐々に武士の時代になっていくと、「疫病を逃れ健康を祝う行事」として豊臣秀吉が始め、以降明治まで受け継がれていきます。

徳川家康は、三方原の戦いの前、家臣・大久保藤五郎の作った6種類の菓子を献上して戦勝祈願をした羽入八幡で嘉定16年製の嘉定通貨を拾ったという故事に因み、江戸幕府開府後、江戸城大広間で嘉祥祝を行います。

7種類の菓子を、ひとつの折敷に1種類づつ、1600折以上もの菓子が大広間に並べられたと言います。これだけのお菓子、当然前もって用意するわけで、前夜は不寝番がいて見張っていたとか。
当然菓子制作に中心は、歴代の大久保藤五郎(主水)。彼は、お正月のNHKドラマで見た人も多いかと思うが、元々は家康の小姓。戦で足を怪我して以来、家康に度々菓子を作って献上していたとか。で、江戸入府後は上水道の開発を命じられ、井之頭池から江戸の町に水を引いた功績のある人。で、後に代々幕府の御菓子御用司を勤め、幕府の菓子作りに関わっていたと言われているんですよ。

さて、6月16日、旗本以上の総家臣たちは江戸城に登城し将軍から直々菓子を拝領します。しかし、将軍も人の子、ひとりひとりに菓子を配っていたので翌日から数日は腕が痛かったので、三代将軍の頃よりは式次第が徐々に変わっていったとか。
それにしても、大広間の菓子、想像してみて下さい。圧巻ですよね。
庶民
お江戸では16文で買った16個の菓子や餅を神棚に供えた後、無言無表情で16個を間食する「嘉祥喰」という風習が生まれたとか・・・
で、大阪では小豆他16種類の素材の入った「笑わず餅」があり、この日に食するそそうな。さすが大阪!
嘉祥菓子
【嘉祥菓子七つ盛】
大正期の「御菓子見本帳」にあった”嘉祥菓子”を再現したもの(江戸末期、御所へお納めしていたもの)
土器(かわらけ)にヒバの葉の上に盛られていました。

上から時計回りに
『源氏籬(げんじませ)』:湿粉製。「源氏塀」を思わせる意匠。二色の村雨風のそぼろ餡、真ん中の黄色いのは栗か芋のよう。
『桔梗餅』:外郎製。桔梗の花を模った御前餡入。
『伊賀餅』:餅製。白餡入。黄色に着色した糯米が散らされている。
『浅路飴』:求肥製。求肥生地に白ゴマがまぶされただけのシンプルなお菓子。
『味噌松風』:焼物製。唯一の焼菓子。しっかりした歯ごたえでしっかりとした白味噌風味。
『武蔵野』:湿粉製。真ん中は羊羹。村雨餡で挟んである。
『豊岡の里』:押物製。薄紅色の押物の中に飴餡入。菓祖・田道間守命(たじまもりのみこと)を祀る中嶋神社のある豊岡(兵庫県)の名にちなんだ菓銘。

全体に上品な味ででした。
 
【福こばこ】
縁起物三種。
左から
『なりひさご』:道明寺製。白餡入。実が鈴なりになる瓢箪は招福・子孫繁栄の象徴。
『紅白のはね鯛』:練切製。紅鯛は白餡入、白鯛は御前餡入。
『御目出糖(おめでとう)』:そぼろ餡に小豆の粒、お赤飯に見立てた蒸菓子。
【嘉祥饅頭】
嘉祥の儀式や和菓子の日にちなんだお饅頭。

(黄色)『薯蕷饅頭』:つくね芋を使った生地で御前餡を包み”嘉定通宝”の焼き印。
(紅色)『新饅』:小麦粉生地で小倉餡、小槌の焼き印。
(茶色)『利休饅』:和三盆糖精製時にできる白下糖入りの小麦粉生地で御前餡。焼き印は”全国和菓子協会”のマーク。

ひとえに饅頭といえども、こう比べて頂くと、触感・風味の違いに気づきます。
和菓子にお茶と言えば、抹茶や緑茶。。
今日のお仲間のおひとり、日本に語学留学→就職して5年ほど滞在している台湾の茶農園の娘さんから頂いた高山茶「杉林渓」。今年の春茶です。
台湾でもあまり見かけない高価なお茶です。茶葉も青々。
美しい水色。香りがすごくよく、さわやかでフルーティーな柔らかい味。
台湾茶は和菓子ともよく合います。
まとめ
日本の6月は身体の持ちにくい時節。今のように飽食ではなく、砂糖が高級品だった昔には、こうした甘くて滋養のある和菓子を行事化して頂くことも、健やかな毎日を過ごすための日本人の知恵だったのかもしれませんね。

招福の和菓子三昧と香り豊かな台湾茶でのアフタヌーンティ。1年息災に過ごせるように思いました。
皆様にも「厄除招福」
もう一つ。
6月の和名「水無月」にちなんだ、この月ならではの和菓子「みなづき」。
「みなづき」も嘉祥菓子同様、厄除けの意味を持っているんですよ。

6月30日は1年の丁度半分。この半年の穢れを祓い、残りの半年の無病息災を祈願する「夏越の祓え」が行われ、この時に用いられる代表的和菓子です。

三角の形は暑気を払う氷片、小豆は魔除けの意味があります。

旧6月1日は「氷の節句」といわれ、宮中や幕府では「氷室」と呼ばれる冬にできた氷を貯蔵しておく所から運ばれた氷を口にして暑気払いをする行事があったそうです。

しかし、庶民にとっては夏の水がとても貴重だった時代、氷など簡単に手も入りません。そこで、この氷をかたどった菓子、”みなづき”が作られるようになったようです。
梅雨明けはまだですが、日々暑い日が続いていますね。
厄除招福の和菓子を食べて来る夏を乗り切りましょう!

では、またお教室で。
おまけ
銀座の紫陽花①
銀座の紫陽花②